2015/06/30
◆KITAMURA学校・1
最近 NHKの花燃えと言うドラマを観ていて 松下村塾って凄いなぁっていつも思っています。
あの時代に 思想教育・・・しかも 今までの常識を覆すような教育をして その後の日本を大きく変える原動力を産み出す人材を多く育てたんです。
私は 吉田松陰がリベラルな考え方をするのが 本当に驚きです。
彼は誰に習ったわけではなく 自分の脳で考えたのです!
その関連で 私が育った家のことを よく想い出します。
いやいや・・・松下村塾と比べるなんて おこがましく恥ずかしいのですが(笑)
私が 小学生から高校生の多感な時期を過ごした伯父の家のお話です。
年代は 「三丁目の夕日」の頃から始まりました。
私の旧姓はKITAMURAと言い そこから KITAMURA学校と呼ばれていました。
当時 伯父や 亡くなった祖父の関係の方が よく 訪ねていらして下さる家でした。
その方達が そう呼んでいらっしゃいました。
何故 学校?なのか。
当時 KITAMURA家の長男である伯父の家には 地方へ転勤になった親類縁者の子供たちが何人も集まって夜のお食事をしに来ていました。
場所は東京・駒場。渋谷や三軒茶屋に歩いて行けます。
当時は下宿と言って 普通のおうちのお部屋を一部屋を借りて 朝ごはんとお昼のお弁当を作ってもらう形態がありました。従兄弟達は すぐ近くに下宿していました。
私は小学生5年生だったかな?中学生の従兄弟達や大学生の従姉。その他にも 何人か大人もいました。
いつもお食事は大~きなテーブルに大勢が集まっていました。
伯父が どこかから貰ってきた 大層立派な額縁(子供にはそう見えました)に 毎週子供たちが 順番に絵を描いていこうとなって 私は絵が大好きになりました。
お客様がいらっしゃると 必ず褒めて下さいますから また 励みになります。
(結局 他の子供たちは 絵を描くのが苦痛で 私が 専属になってしまいましたが・・・笑)
妹はここでピアノのレッスンを始め 今もピアノの先生をしています。
また 大人組に 世の中の矛盾を質問して 今で言うディベートをしたり・・・。
どうしても 何かが解決しないとき・・・私は伯父に「お話があります」と申し込みます。伯父は忙しい人で 予約しておかないと同じ家にいてもゆっくり話が出来なかったのです。
私にとって 伯父は偉大なる人物でした。
小学生の私にも きちんと人権を認めてくれて しっかりと話をしてくれました。
伯父にお話をするときは 大抵 私は何か抗議をすることも多く 伯父は常に誠実に対処してくれました。
今 考えると 本当に有難いことです。
伯父が どれほど忙しくしていたか・・・にも拘らず 小学生の私の相手をしっかりとしてくれました。
私は いつも少しドキドキして 伯父に理路整然と冷静に話をすることを学びました。
また そのせいで、物怖じをしないで どんな方にもお話が出来るようになったとも感じています。人心掌握術のようなものも おぼろげながら意識していました。
伯父は 私を人間として扱ってくれた最初の人だと確信しています。
小学生の子供ですから そんな風に扱われたことはないですよね。
当然 保護されるべき存在であり 大人ではない。
しかしながら 子供でも人権はあるのです。
当時の子供で そんな風に扱われることは 大変に珍しかったと思います。
(何しろ 3丁目の夕日の頃ですから~笑)
そして 伯父の妻である伯母は 大変におっとりとした華族のおひい様。
お客様の多いKITAMURAの家で お客様がいらして ささっとお酒の用意をしたりおつまみを作ったり お茶をお出しするのは 私の役目でした(笑)
いらしたお客様は 小学生の私がそんなことしているのですから 面白がって 色々お話し下さいます。
伯父や伯母は「REIKOです」と紹介し 必ず 父の名前を出します。
「EIJIの長女で あの額縁の絵を描いたのですよ」と・・・(笑)
お客様 褒めない訳には行きません(笑)
ちゃ~んと 分かっていました(笑)
お客様は お世辞で褒めて下さっているんだって・・・。
それでも 嬉しかったです。
私は2,30人のパーティでも 一人でお料理作りから何まで 対応出来るようになりました。お客様とのお話も 大抵の方と楽しく出来ます~(笑)
また 数百枚のお年賀状を中学生1年で 既に筆書きで宛名書きしていました。
中学生になったばかりで そんなこと・・・なんて 境界は必要ないんですね。
(大人のような字を書けたので、私はよく嫌いなマラソンの授業をさぼるため 学校へのお手紙を偽造しました~!笑)
伯母の優しさは 厳しい環境にいる私を とても癒してくれたように思います。
厳しい環境と言うのは、いくら 伯父や伯母が私の人権を認めてくれても 実際の親がそばにいなかったこと。
まだまだ 小学生には 寂しかったです。親と暮らしていないことで 深く傷ついてもいました。
この感情は もう少し大きくなると もっと 私を苦しめました。
そして 世の中は そんなに 優しくない(笑)
それを 小学生の私は 肌でビンビン感じていました。
妹達 1歳下と4歳下も 私が守らなくてはならない!と思っていました。
小学校6年生になったとき 私が生涯 忘れられない事件が起こります。
そのお話は また今度。
●昔昔のお話です(笑)今とは色々な面で比較できないこともありますが 親に育ててもらっていなくても 学ぶことは出来 明るく強く生きていけます。
そんなことを 感じて頂けたら 嬉しいです♪
いつか 書こうと思っていました。
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